親子3代に渡って培ってきた黄家の味

関西の地で、作り手も三代なら、お客さんも三代。これからは、この味を日本中のお客様にお届けしていきたい。

【高麗食品のルーツ】
現社長・黄鍾守(ファン ヂョンス)の祖母である、金順玉(キン スンオ)は、韓国で生まれ育ちました。韓国の家庭では一般的な事ですが、祖母は、自分の母親からキムチの漬け方を教わり、自然と身につけていました。 そして、日本に渡ってきた後は、自分の家庭の食卓に上るキムチは、自分で漬けていました。しかし、料理が上手だった祖母の漬けたキムチは美味しいとの評判で、次第に、近所の人を相手とするキムチの行商をはじめ、数年後には大阪市生野区にて小売店を始める事となりました。この「祖母のキムチ」が、高麗食品のルーツなのです。

【祖母(ハルモニ)の味を受け継いだ母(オモニ)】
祖母の「キムチの味」は、現社長・黄鍾守(ファン ヂョンス)の母・慎仁子(シン インヂャ)に引き継がれます。小さい頃から料理が好きだった慎仁子(シン インヂャ)は、1976年、大阪市生野区に「太洋商店」の屋号で、本格的にキムチ専門店を開業しました。 この「太洋商店」が、現在の高麗食品の原型となります。しかし、当時はまだ、日本においてキムチの知名度は低く、お客様も、ほぼ在日韓国・朝鮮人の方々に限られていました。それでも慎仁子(シン インヂャ)は、実直に祖母(ハルモニ)のキムチの味を守り、そして、自分の料理の感性をプラスし、現在の高麗食品の味を創り上げたのです。

【母から受け継ぐ「キムチの味」】
曾祖母から祖母へ、祖母から母へ、そして時代は流れ、母のキムチは、現在の高麗食品の味へ受け継がれました。 母のキムチに対する高い「こだわり」は、「高麗食品の味」に対する信頼として、地元の人々に高い評価をいただく事になりました。1988年のソウルオリンピック以降、スーパー・百貨店等でキムチが一般的に販売される様になり、日本一のコリアンタウンである大阪市生野区の地元で、知る人ぞ知る、「高麗食品のキムチ」は、一部のスーパーでも販売される事となりました。

【そして、現在へ】
現在、高麗食品のキムチは、「黄(ファン)さんの手造りキムチ」として、近畿地区及び周辺地域の多くのスーパーでお買い求めいただけます。よく、スーパーに置いてあるキムチはイマイチで、キムチ専門店のキムチが美味しいとの声を聞きますが、「黄(ファン)さんの手造りキムチ」は、そのキムチ専門店の味を毎日の食卓で、お手軽にお召し上がり頂く事を目的にして、多くのスーパー様の協力を得て、販売いたしております。

【これからの目標】
高麗食品は、「もっと手軽に、毎日の食卓に美味しいキムチを!」を合言葉にし、より多くの皆様に美味しいキムチをお届けする事を目指し、インターネットでのキムチ・韓国食品の販売も、内容の充実をはかります。現在は、高麗食品の直営店舗でしか販売していない商品も、順次、ホームページに掲載いたします。一人でも多くのお客様から「オイシイ!」の一言を頂戴する事を、「誇り」と「励み」にしてゆきます。キムチを通して、確かな伝統と多くの方からのご愛顧を守り続けること。私たちは、そうした決意の下、皆様から愛されるキムチづくりと、サービスの提供に一層専心してまいります。