大阪鶴橋黄さんの手造りキムチの基本スタンス
某ネット記事で当社のキムチを引き合いに出し、他社のキムチを賞賛する記事を目にしました
キムチは各メーカー・作り手で味付けの幅が広く、それに合わせたかのように消費者の好みも分かれる食べ物です♪
人によって評価は割れるので優劣をつけるのは・・
ちょうど良い機会なので、僕らの基本スタンスを整理して紹介させていただきます。
キムチが好きな人を増やしたい
黄さんのキムチであれば最高ですが、他社さんの物でも構わない。
僕らの正直な気持ちです。
やはり韓国にルーツを持つ人間として、キムチの作り手として、そしてキムチが大好きな人間としてキムチが好きな人が増えると嬉しいです。
自分の好きな食べ物を共感してもらうのって大事でしょ♪
それが長年携わっているキムチなら最高じゃないですか!!
冒頭でも書きましたが、キムチは好みがあるので全ての人を振り向かせるのは難しいと思ってます。
その分、黄さんのキムチを好きでいてくれている人には全力で応えるだけです♪
決して恰好つけているのではなく、キムチを好きな人が増えれば市場も増える。
市場が増えれば、僕たちのキムチを買ってもらえるチャンスが増えると思ってます。
短絡的に考えず、壮大な気持ちで挑んでいるんです♪
キムチ屋さんのポジションを上げたい
僕たちが子供の頃から比べると、社会的地位はちょっとは上がったかな。
昔は「親がキムチ屋さん」って、余り良くないイメージでした。
キムチ自体が上品な食べ物ではなかったですから。
お客さんや従業員のためにも永続する会社を目指しているのに、それじゃアカンでしょ?
キムチを好きな人が増え、キムチのイメージが上がることによって、キムチ屋さんもイメージが良くなるかなと。
ちょっと打算が入ってます(笑)
キムチで笑顔を作りたい
母の口癖「笑ってたらええ事あるで!!」が元となっています。
母は日本に来て色んな工場で働きながら何とかキムチ屋さんを始めましたが、当初から苦労の連続だったそうです。
祖母のすすめでキムチ屋さんをオープンする年(1976年)に年の離れた末っ子である僕を妊娠したことが発覚。
高齢だったことや資金面の心配もあり、堕胎することを考えていましたが、祖母が「何とかなるやろ!!」と止めたのだとか。
未だに祖母の話しになると「あんたは、お祖母ちゃんおらんかったら産まれてなかったんや~。でも産んで儲けたわ!」と言われます。
また、始めてすぐのキムチ屋さんが上手くいくわけもなく、しばらく厳しい経済環境は続きました。
大きな声では言えないですが、相当貧乏でした。色々ありましたし~(汗)
そんな状況でも母は「お金がなくても美味しい物を食べてたら幸せやろ!!」「笑ってたら良いことあるよ」とポジティブだったのは記憶に残っています。
あの当時の話しは今思うと強烈な話しばかりで、友人や先輩に「良く笑って話せるな~!!」と言われた事がありますが、逆に笑わないと話せない(笑)
前にもチラッと書きましたが、小学生3年まで夏休みの間は韓国の親戚の家に預けられるとかも今考えると・・。
編集長いわく、我が家の昔話は昭和初期の話しと勘違いするらしいです。
話しのネタとしては最高やと思うのですが、不特定多数の人間にする話しではないと思いますので、興味がある人は直接聞いてください♪
でも、笑う門には福来るとも言いますし、どんな苦しい状況でも「ちゃんとしたもん」を食べて笑っていると癒されます。
我が家もいま思えば本当に貧しかったですが、笑いながら食事をすることで家族は結束したのかも。
個人的には自分が笑いたいというより、周りが笑っていてくれると幸せを感じられます♪
家族や従業員、お客様が笑顔でいてくれるような会社を作りたいです。
以上のことから、僕らは「黄さんのキムチ」が好きな方に喜んでいただけるよう、一生懸命頑張るだけですよ~!!
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