黄さんの手造りキムチ高麗食品のストーリー

工場長日記

大阪商品計画で担当していただいてる先生からの課題で

会社紹介のストーリーを歴史や今までの経過をふまえ作り直しています。

高麗食品のFBページで紹介するつもりでしたが、ストーリーのページがなくなっていたので

ブログにて紹介させていただきます。

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韓国生まれの祖母が大阪市生野区で台車にキムチを載せた行商を始めたのが1970年。

幼い頃から本場のキムチの味に慣れ親しんだ祖母が作るキムチの味は好評で

数年後には大阪市生野区で店舗を構える事ができました。その味付けを、娘である母に伝え

その後、母もキムチ専門店を1976年大阪市生野区に開業しました。

日本で一番多くの在日韓国人が住んでいた地域として知られる大阪市生野区は

他府県からもキムチを買い求めに来るお客様もおられ、鶴橋やコリアンタウンを中心に

50件以上のキムチ専門店がある日本でも有数のキムチ激戦区となっております。

 現在は三兄弟で、長男が社長、二男が専務、三男が工場長として

家業のキムチ屋を引き継いで頑張っております。キムチが今日のように人気になる前から

地道な商売に精を出し、昔ながらの味を守る一方で、日本人の味覚に受け入れられる味を

模索しながら、出汁の旨みと風味でキムチの辛みをまろやかにし食べやすくすることで

当初は地域に住む在日韓国人にしか売れなかったキムチが、徐々に遠方から

買いに来るようなお客様も現れ、味にうるさい大阪で不動の人気を築き上げてきました。

 当初、小売り店舗での販売しかしていなかったキムチも、徐々に販路を広げ

現在では量販店様でも取り扱っていただいております。特に「黄さんの手造りキムチシリーズ」は、

関西圏のほぼ全ての大手量販店様で採用していただいており、販売POSランキングでも

月間販売個数40万パック以上売れるヒット商品で、大手メーカーの商品と常に上位を争っています。

 私たち高麗食品は、より多くの食卓に「美味しいキムチ」が食卓を賑やかに彩り

より多くの皆さまの食事の時間が豊かになる事を目指しています。

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